翻訳と辞書
Words near each other
・ 法名 (曖昧さ回避)
・ 法名 (浄土真宗)
・ 法名軸
・ 法味村
・ 法哲学
・ 法哲学年報
・ 法哲学綱要
・ 法哲学要綱
・ 法哲学講義
・ 法善寺
法善寺 (南アルプス市)
・ 法善寺 (富士宮市)
・ 法善寺 (曖昧さ回避)
・ 法善寺横丁
・ 法善寺駅
・ 法嗣
・ 法嗣経
・ 法器
・ 法四依
・ 法因寺


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

法善寺 (南アルプス市) : ミニ英和和英辞書
法善寺 (南アルプス市)[ほうぜんじ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほう]
  1. (n,n-suf) Act (law: the X Act) 
: [ぜん]
 【名詞】 1. good 2. goodness 3. right 4. virtue 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
南アルプス : [みなみあるぷす]
 (n) southern alps (of Japan)
: [し]
  1. (n-suf) city 

法善寺 (南アルプス市) : ウィキペディア日本語版
法善寺 (南アルプス市)[ほうぜんじ]

法善寺(ほうぜんじ)は、山梨県南アルプス市加賀美にある寺。高野山真言宗寺院。山号は加賀美山。本尊は阿弥陀如来武田八幡宮別当寺。詳しくは加賀美山法善護国寺という。
== 概要 ==
甲斐国社記・寺記』『甲斐国志』に拠れば、806年大同元年)に逸見(北杜市白州町)に創建された永善寺が前身であるといわれという。その後、山寺村(南アルプス市)、寺部村(同)へ移転され、822年弘仁13年)に空海が創建したという。
『甲斐国志』に拠れば平安時代後期には甲斐源氏の一族が甲府盆地各地へ土着し、法善寺は建久年間に加賀美遠光巨麻郡加賀美郷に再興し、武田八幡宮韮崎市神山地区)の別当となったという。近辺には法善寺のほかにも遠光創建を伝える寺社が多い。
鎌倉時代には1208年承元2年)、遠光の孫にあたる遠経が遠光屋敷跡へ移して再興したという。法善寺境内からは土地区画が確認されている。1221年承久3年)には紀州高野山から覚応を招き中興開山とした。後に甲斐守護・武田氏の庇護を受け、移転を戦国時代武田信虎期とする説もある(『寺記』)。
1568年永禄11年)、武田信玄の越後侵攻に際し、信濃国長沼において法善寺を含む甲斐国内の慈眼寺笛吹市一宮地域)や法光寺甲州市)など11か寺に戦勝祈願を命じており(『慈眼寺文書』)、翌年には子院の福寿院の法華経読経に対して、祈願成就の賞として棟別銭が免除されている(『法善寺文書』)。戦国時代には武田信玄により高野山から円性教雅(えんしょうきょうが)が住職として招かれる〔柴辻(2015)、p.144〕。1572年元亀3年)4月7日には西上作戦に際して、円性教雅が越後上杉氏が信濃・上野2国を侵さないことを祈願した祈願文を奉納している〔柴辻(2015)、p.144〕。『歴代古案』には円性教雅の書状が見られ信玄と親密に交際していることが確認されるが、その後信玄とは不和となり、住職は法印光海に交代したという〔柴辻(2015)、pp.144 - 145〕。
武田氏滅亡後は織田信長1588年天正16年)3月に徳川家康からからの禁制を受ける。翌年には徳川家臣・伊奈忠次による検地が行われ、寺領証文が発給される。また、武田八幡宮の社領証文も当寺へ発給された。豊臣系大名時代にも寺領を寄進され、江戸時代の1642年寛永19年)には将軍・徳川家光の朱印地安堵を受ける。以来、歴代将軍の安堵を受け、盛期には末寺9、子院20を擁した。1781年天明元年)には火災で諸堂を焼失(『国志』)。明治には神仏分離で武田八幡宮が独立する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「法善寺 (南アルプス市)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.